ヒッチコック映画「泥棒成金」で有名
アメリカの小説家で、その著作は母国アメリカだけではなく英、仏、伊、独、スペイン、ポルトガル、オランダ、スペイン、デンマークなどのヨーロッパ各国でも広く読まれていた人気作家でした。
1935年から7年間は、大恐慌時代のアメリカにおいてほそぼそと計理士の仕事で生計を立てていましたが、そうしているうちに創作意欲が徐々に高まっていき、やがて1941年になるとその自身の計理士としての経験を元に書き上げた長編「死と税金」を発表し作家デビューを果たします。
そしてその2年後の1943年には第2長編「黒い羊の毛をきれ」を、処女作と同じマクミラン社より刊行し、これらの作品が好評を得て作家としての地位を確立します。
こういったことから彼の初期作品に登場する計理士のジェームズ・ホイットニーはいわば著者自身がモデルであるといえるのかもしれません。
そして創作活動が軌道に乗り始めた頃、マクミラン社の女性編集者だったエルヴァー・キース女史と結婚、長女を一人もうけます。
この間のエピソードも第3長編「花婿を射つ弾丸」に生かされており、このことからも彼の著作には著者自身の経験がふんだんに盛り込まれているといえるでしょう。
第二次世界大戦の最中は海軍予備将校として軍務に服し、終戦後は一家三人でメキシコ、グァテマラを皮切りに世界旅行に出かけ、この時に友人に出した手紙の写しをまとめて集録した旅行記「わが父は新米なりき(How Green Was My Father)」がベストセラーとなります。
その後も世界中を旅して回ってはその土地の風俗などを背景にしてミステリや旅行記を発表し、それが好評を得てよりいっそう作家としての地位を確立していくという、まさに趣味と実益をかねた悠々自適の生活を送る毎日であったといいます。こういったゆとりが著作に遊び心を生み出し、読者を惹き付けてやまないのではないでしょうか。
戦後の代表作としては、1952年に発表したサスペンス・スリラー小説「泥棒成金」が1955年にアルフレッド・ヒッチコック監督、ケイリー・グラント、グレース・ケリー主演で映画化されており、わが国でもこの古典的名作の原作者として記憶に留められています。
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | The Long Escape (はるかなる逃走) |
1948 | - | |
2 | Plunder of the Sun (太陽の劫掠) |
1949 | - | 映画化('53) |
3 | The Red Tassel | 1950 | - |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | 泥棒成金 | 1952 | HPB223 | アルフレッド・ヒッチコック監督で映画化('55) 著者名デヴィッド・ドッヂ |
2 | The Lights of Skaro | 1954 | - | |
3 | Angel's Ransom (英 Ransom of the Angel) |
1956 | - | |
4 | Loo Loo's Legacy | 1960 | - | |
5 | Carambola (英 High Corniche) |
1961 | - | |
6 | Hooligan (英 Hatchetman) |
1969 | - | |
7 | Troubleshooter | 1971 | - |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | How Green Was My Father (わが父は新米なりき) |
1947 | - | |
2 | How Lost Was My Weekend | 1948 | - | |
3 | The Crazy Glasspecker | 1949 | - | |
4 | 20,000 Leagues Behind the 8-Ball | 1951 | - | |
5 | The Poor Man's Guide to Europe | 1953 | - | |
6 | Time Out for Turkey | 1955 | - | |
7 | The Rich Man's Guide to the Riviera | 1962 | - | |
8 | The Poor Man's Guide to the Orient | 1965 | - | |
9 | Fly Down, Drive Mexico | 1968 | - |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | Plunder of the Sun | 1953 | - | |
2 | To Catch a Thief | 1955 | - |