ドイツ語圏のミステリの先駆者
スイスの推理小説家。父はスイス人で、母はオーストリア人。母親の母国オーストリアのウィーンで生まれ、わずか4歳で母親と死別したこともあってか、少年時代から度々問題行動を度々起こしては放蕩生活に明け暮れる問題児であったといいます。
やがてチューリヒ大学に進学し化学を専攻しますが、大学在学中に前衛芸術運動ダダの拠点に出入りするようになり、自らもダダに参加し最年少のダダイストとしてフーゴー・バルやトリスタン・ツァラとともに活動を始めるようになります。
しかし幼い頃から問題行動の多かったグラウザーと彼の父親とは衝突が絶えず、父との確執もあってか徐々に精神を病んでいたグラウザーは、やがて肺結核を患った際に服用したモルヒネのため中毒症状に陥ってしまいます。1918年には禁治産宣告も受け、以後モルヒネ依存症の治療のための精神病院への入退院と自殺未遂を繰り返す日々が続きます。
そしてその間外人部隊や皿洗い、炭坑夫、庭師の下働きなど、様々な職業を転々としますが、やがて一人の女性との出会いをきっかけとして彼の人生に転機が訪れます。以後は小説家の道を志すようになり、手始めに1932年に最初の長編小説「三老婦人の茶会」という作品を書き上げたのでした。
その後女性とは別れ、書いた長編も生前に刊行されることはなかったものの、彼の作家としての名声は次第に高まり、スイスのベルン州警察のシュトゥーダー刑事ものの一連の作品が華々しい成功を収めます。しかし新たに知り合った女性と結婚しようという矢先に突然倒れ、42歳という若さでこの世を去りました。
彼の作家人生は非常に短く作品数も決して多くはありませんが、ドイツ語圏ではその名をよく知られた作家で、英語圏に比べて非常に遅れをとっていたドイツ語圏におけるミステリの地位を作品を通して高めることに貢献した、ドイツ推理小説界の先駆者として高く評価されています。
そしてそんな彼の業績を讃えて1986年にドイツ推理作家協会に創設された〈グラウザー賞〉は、ドイツ語圏のミステリ賞で最も名誉のある賞の一つとして定着しています。
また母国スイスでは、彼の生み出したシュトゥーダー刑事シリーズは、”スイスのメグレ”とも評され、映画にもなり国民文学として位置づけられているほど、現在でも人気のあるシリーズです。
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | Der Tee der drei alten Damen (三老貴婦人のお茶) |
1932 | - | |
2 | 外人部隊 (グーラマ) |
1936 | 国書刊行会 文学の冒険シリーズ「外人部隊」('04) |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 | |
1 | モルヒネ | 1941 | 国書刊行会 文学の冒険シリーズ「外人部隊」('04) | ||
1 | 割れたグラス | ||||
2 | 書く…… | ||||
3 | 精神病院日記 | ||||
4 | 七月十四日 | ||||
5 | コロン-べシャール─オラン | ||||
6 | 簡易宿泊施設 | ||||
7 | 秩序攪乱者 | ||||
8 | 園芸場 | ||||
9 | 音楽 | ||||
10 | パリの舞踏場 | ||||
11 | モルヒネ─ある告白 | ||||
12 | 贖罪の山羊 | ||||
13 | 道路 | ||||
14 | 同僚 | ||||
15 | 忘れられた殉教者 | ||||
16 | 隣人 | ||||
17 | 村祭 | ||||
18 | 自動車事故 | ||||
19 | 十一月十一日 | ||||
20 | 鶏の運動場 | ||||
21 | 夏の夜 | ||||
22 | インシュリン | ||||
23 | 魔女とジプシー | ||||
24 | 旅行会社 | ||||
25 | ネルヴィの六月 | ||||
2 | Ali und die Legionare. Eine Erzahlung aus Marokko | 1944 | - |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 | |
1 | ダダ、アスコーナ、その他の思い出 | 1976 | 国書刊行会 文学の冒険シリーズ「外人部隊」('04) | ダダイズム運動についての自伝記録 | |
1 | 田舎教育舎で | ||||
2 | ダダ、ダダ | ||||
3 | アスコーナ─精神の市場 | ||||
4 | アフリカの岩石の谷間にて | ||||
5 | 階級と階級の間で |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | 外人部隊 | 1941 | 国書刊行会 文学の冒険シリーズ('04) | 「外人部隊」「モルヒネ」「ダダ、アスコーナ、その他の思い出」の3編を所収 |
【参考】「狂気の王国」(作品社)