追い詰められた人間の心理描写に巧みな英国女流作家
「ジェーン・エア」や「風とともに去りぬ」とともに女性文学の極致と称され、アルフレッド・ヒッチコック監督によって映画化された「レベッカ」の原作者として有名なイギリスの女流作家。
ロンドンの出身ですが、名前が示す通り家系はフランスのエミグレ(逃亡貴族)でした。そのモーリア一族は、ユーモア雑誌として有名な〈パンチ〉誌の挿絵を描くなど高名な小説家・画家であった祖父ジョージ、イギリス演劇界でも有名な舞台俳優で演出家でもあり、1922年にはナイトにも叙せられた父ジェラルド、舞台女優の母ミュリエルなどを輩出した芸術家一族で、彼女はいわば芸術的名門の家柄に生まれたといえます。
そして多くの貴族の子弟がそうであったように、彼女も幼い頃から正規の学校教育を受けることなく、18歳の時に見聞を広めるために半年パリに滞在した以外は、ずっと家庭において二人の姉妹とともに家庭教師による教育を受けて育ちます。
そんな芸術一家に生まれた彼女も小さい頃から小説が好きだったらしく、祖父や父親の書棚から各国の文学作品を手に取っては耽読し、15歳の頃からは自分でも詩を書いたり物語風の作品を書くようになっていたといいます。
ちなみに彼女が愛読した作家は、初期の頃はキャサリン・マンスフィールド、メアリ・ウェッブ、モーパッサンなどで、その後は現代の作家はほとんど読まなくなり、専らジェイン・オースチン、アントニー・トロロプ、ロバート・ルイス・スティーヴンスンなどを読んでいたそうです。特に「宝島」などで有名なスティーブンスンには多大な影響を受けたらしく、「埋もれた青春─ジャマイカ・イン」や「レベッカ」にはその影響が色濃く現われているといわれています。
そして1931年になると長編「愛はすべての上に」を刊行して作家デビューを果たし、第4長編「埋もれた青春」と第5作目の長編「レベッカ」の大ヒット契機として、その旺盛な発想力と自由自在の描写力でたちまち一流作家としての仲間入りを果たしました。その後も意欲的に作品を発表し続け、1978年にはアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の巨匠賞も受賞しています。
ちなみに彼女はパーティなど都会での社交的な生活は苦手だったらしく、趣味も散歩や園芸、鳥の観察飼育など田舎につながりのあるものがほとんどだったそうで、生涯の大半をコーンウォールの荒々しい自然に囲まれた田園生活の中で過ごし、そこで数多くの作品を執筆しました。
また1932年に結婚した元陸軍中佐の夫フレデリック・アーサー・モンタギュー・ブラウニングとの間に三人の子供をもうけています。
生涯で17の長編と50編近い短編、それに戯曲やノンフィクション作品を残していますが、彼女の作品に共通しているのは「スリルとサスペンスと切迫感」の三要素だと言われていて、不安に怯え、恐怖に苛まれ、張りつめた神経の糸が今にも切れそうな、そんなギリギリの線まで追い詰められた人間の心理を描かせては天下一品だと評されます。
そのような息の詰まりそうな緊迫した展開で物語を巧みに盛り上げていく手腕の見事さが彼女の最大の魅力です。
また彼女の作品は大きく分けて広義のミステリに分類されるものと歴史・時代小説などの普通小説に分類されるものとに分かれますが、ミステリ作品に関していえば長編はロマンティシズムとサスペンスの融合に初めて成功し、他方短編の方は神秘的なものへの憧憬や畏怖、あるいは人間の皮肉な心理などを鋭い筆致でリアルに描き上げ、こちらも完成度は高いといわれています。
日本でも古くからアルフレッド・ヒッチコックの映画「レベッカ」や「鳥」の原作者として名をよく知られ、邦訳も三笠書房から作品集が刊行されるなど、邦訳には恵まれかなり数多くの作品が紹介されていますが、もっともどちらかというとロマンス小説作家的な紹介のされ方が多く、ミステリ作家としての認知度はイマイチというのが現実でした。
しかし近年になって東京創元社から代表作の短編集「鳥」が初めて完訳されたり長編「レイチェル」が新訳で刊行されるなど、彼女が本来持つサスペンス作家としての力量が見直され、ミステリ作家として再評価される空気が急速に高まってきています。
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | 愛はすべての上に | 1931 | 三笠書房('75) 三笠書房 デュ・モーリア作品集1 評論社(上下)('50) |
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2 | 青春は再び来らず | 1932 | 三笠書房('70) 三笠書房 デュ・モーリア作品集2 評論社(上下)('51) |
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3 | ジュリアス 愛と野望の果て | 1933 | 三笠書房('73) | |
4 | 埋もれた青春 (埋れた青春) (ジャマイカ・イン) |
1936 | 三笠書房('77) 三笠書房 デュ・モーリア作品集3('66) 三笠書房('50) |
「巌窟の野獣」のタイトルで映画化('39) |
5 | レベッカ (レベッカ・若い娘の手記) (シンデレラの呪われた城) |
1938 | 新潮文庫(新訳版)(上下)('08) 新潮文庫(上下)('71) 新潮社(新訳版)('07) 三笠書房('74) 三笠書房 デュ・モーリア作品集4 河出書房新社 世界文学全集別巻4('60) 新潮社 新版世界文学全集28('58) ダヴィッド社('52) ポプラ社文庫('87)(ジュヴナイル) |
映画化('40) |
6 | 情炎の海 (燃える海) (燃えるドーナ) (愛は果てしなく) (若い人妻の恋) |
1941 | 東京創元社 世界大ロマン全集2('56) 三笠書房 デュ・モーリア作品集5('66) 評論社('50) |
映画化('44) |
7 | Hungry Hill (ハングリー・ヒル) |
1943 | - | 「狂乱の狼火」のタイトルで映画化('47) |
8 | 愛すればこそ | 1946 | 三笠書房('75) 三笠書房 デュ・モーリア作品集6('65) 三笠文庫('52) 評論社('50) |
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9 | 愛の秘密─パラサイト─ (愛の秘密) |
1949 | 三笠書房('69) 三笠書房 デュ・モーリア作品集7('66) 三笠書房('50) |
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10 | レイチェル (レーチェル) (愛と死の記録) |
1951 | 創元推理文庫206-3 三笠書房('75) 三笠書房 デュ・モーリア作品集8('66) ダヴィッド社('52) |
映画化(日本では未公開) |
11 | The Scapegoat 犠牲 (美しき虚像) |
1957 | 三笠書房 デュ・モーリア作品集9('66) 三笠書房(上下)('57) |
映画化(日本では未公開) |
12 | Castle Dor | 1962 | - | アーサー・キラー・クーチ(Arthar Quiller-Couch)の作品を完成 |
13 | 愛と死の紋章 | 1965 | 三笠書房 デュ・モーリア作品集10('67) | |
14 | わが幻覚の時 | 1969 | 三笠書房('70) | |
15 | 怒りの丘 | 1973 | 三笠書房('73) |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | Happy Christmas | 1940 | - | |
2 | Consider the Lilies | 1943 | - | |
3 | Spring Picture (The Closing Door) |
1944 | - | |
4 | Leading Lady | 1945 | - |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 | |
1 | Come Wind, Come Weather | 1940 | - | 11編 アンソロジー |
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2 | Nothing Hurts for Long, and Escort | 1943 | - | 2編 | |
3 | London and Paris | 1945 | - | 2編 | |
4 | 鳥 ─デュ・モーリア傑作集 |
1952 | 創元推理文庫206-2 | ||
1 | 恋人 (接吻して) |
1952 | ダヴィッド社「林檎の木」('53) | ||
2 | 鳥 | HPB775「鳥」 鷹書房「鳥」('67) ダヴィッド社「真実の山」('52) EQMM'63.7 |
映画化('63) | ||
3 | 写真家 (写真屋) |
ダヴィッド社「林檎の木」('53) | |||
4 | モンテ・ヴェリタ (真実の山) |
鷹書房「鳥」('67) ダヴィッド社「真実の山」('52) |
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5 | 林檎の木 | 1952 | 鷹書房「鳥」('67) ダヴィッド社「林檎の木」('53) |
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6 | 番(つがい) (爺さん) (オールド・マン) |
ダヴィッド社「真実の山」('52) HMM'80.8 |
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7 | 裂けた時間 (瞬間の破片) |
HPB775「鳥」 | |||
8 | 動機 (動機なし) |
HPB775「鳥」 | |||
5 | Early Stories | 1955 | - | 18編 | |
6 | 破局 | 1959 | 早川書房 異色作家短篇集10(新装版)('06) 早川書房 異色作家短篇集14('64)(抄訳) |
邦訳は1~6を収録 | |
1 | アリバイ | 1956 | |||
2 | 青いレンズ | 1959 | |||
3 | 美少年 | 国書刊行会 書物の王国8「美少年」('97) | |||
4 | 皇女 | ||||
5 | 荒れ野 | ||||
6 | あおがい | 1959 | |||
7 | The Chamois | ||||
8 | The Menace | ||||
9 | The Pool | ||||
7 | The Treasury of du Maurier Short Stories | 1960 | - | ||
8 | The Lover and Other Stories | 1961 | - | ||
9 | 真夜中すぎでなく (見てはだめ) |
1971 | 三笠書房('72) 南雲堂 SIMPLY名作シリーズ 14('94) |
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1 | 今見てはだめ | 1966 | 「赤い影」のタイトルで映画化('83) | ||
2 | 真夜中すぎでなく (先代) |
1971 | |||
3 | シュラの場合 | ||||
4 | 十字架の道 | ||||
5 | 第六の力 | ||||
10 | Echoes from the Macabre: The Selected Stries | 1976 | - | アンソロジー | |
11 | The Rendez-vous and Other Storises | 1980 | - | ||
12 | Classics of the Macabre | 1987 | - | アンソロジー |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | Gerald─A Portrait (ジェラルド─肖像) |
1934 | - | 父ジェラルドの伝記 |
2 | The du Mauriers (デュ・モーリア家) |
1937 | - | 一族の評伝 |
3 | The Young George du Maurier | 1951 | - | 編書、書簡集 |
4 | メアリ・アン その結婚 メアリ・アン その復讐 |
1954 | 新潮社(二分冊)('56) | |
5 | The Infernal World of Branwell Bronte | 1960 | - | |
6 | The Glass-Blowers (ガラス吹き工) |
1963 | - | |
7 | Vanishing Cornwall | 1967 | - | |
8 | Golden Lads | 1975 | - | |
9 | Growing Pains: The Shaping of a Writer (Myself When Young) |
1977 | - | 回想録 |
10 | The Rebecca Notebook and Other Memories | 1980 | - | 回想録 |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | Rebecca | 1940 | - | 「レベッカ」の脚色 |
2 | The Years Between | 1945 | - | |
3 | September Tide | 1949 | - |
【参考】「鳥─デュ・モーリア傑作集」(東京創元社 創元推理文庫)
「レベッカ/下」(新潮社 新潮文庫」
「破局」「早川書房 異色作家短篇集」