密室ミステリの父
イギリスの小説家、ジャーナリストで、エドガー・アラン・ポオの「モルグ街の殺人」に続く密室トリックの古典的名作といわれる中編「ビッグ・ボウの殺人」の著者として知られています。
ロンドンでロシア系ユダヤ人の父とポーランド人の母親の間に生まれ、幼少期をブリストルで過ごした後ロンドンに戻ってユダヤ人フリースクール(無月謝学校)で学び、ロンドン大学の最優等試験にパスしますが、家計が貧しく生計を立てる必要からジャーナリストに身を転じて多くの新聞や雑誌にエッセイやユーモア小説などを寄稿しました。
その後ユダヤ社会をテーマとするエッセイ「ユダヤ主義」を季刊誌〈ジューイッシュ・クウォータリー・レヴュー〉に発表したことで創設間もないユダヤ人出版協会の注目を集め、同協会の後援を受けてその後も「ユダヤ人街の子供たち」(1892)「ユダヤ人街の悲劇」(1893)「ユダヤ人乞食の王」(1894)とユダヤ社会を題材にした作品を発表していき、作家としての名声を確立していきます。
1900年代に入ると戯曲の創作にも力を入れ始め、1908年発表の「坩堝」はアメリカでも大評判を勝ち取ります。
自身が亡命ロシア系ユダヤ人であったこともあってかユダヤ人への偏見をなくす運動に積極的に参加し、シオニストとして創始者のヘルツルとともにユダヤ民族の祖国建築を夢見て活動をしていましたが、ヘルツルの没後に起こった内部分裂によりこれらの運動から離脱を余儀なくされたり、また自身の激しい気性も災いしてか演説でアメリカのユダヤ主義を攻撃して周囲の反発を買うなどし、失意のうちにイギリスに帰国の途につきました。
ミステリの分野では、1892年に発表した中編「ビッグ・ボウの殺人」と短編が1編あるのみですが、この「ビッグ・ボウの殺人」は初めて心理的な密室トリックを用いた作品として、今なお読み継がれている古典的名作の一つです。
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | ビッグ・ボウの殺人 (ボウ町の怪事件) (霧の夜の殺人鬼) |
1892 | 早川文庫66-1 創元推理文庫135('59) HPB143 東京創元社 世界推理小説全集1('56) 宝石'53.6-12 |
クイーンの定員15 「密室大集合」アンケート6位 |
2 | 絞首刑綺譚 | 1893 | 早川文庫87-2「シャーロック・ホームズのライヴァルたち2」('83) |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | Judaism (ユダヤ主義) |
- | エッセイ | |
2 | Children of the Ghetto (ユダヤ人街の子供たち) |
1892 | - | |
3 | Ghetto Tragedies (ユダヤ人街の悲劇) |
1893 | - | |
4 | The King of Schnorrers (ユダヤ人乞食の王) |
1894 | - | |
5 | The Melting Pot (坩堝) |
1908 | - | 戯曲 |