アメリカの推理小説家。裕福な石炭商の家に生れますが10代の時に家族を次々と病気で亡くしたため一家は窮乏を余儀なくされます。そのため彼もシンシナティ大学を中退せざるを得ませんでした。
以後は様々な職に就きながら独学で学問にも打ち込み、やがて30歳を前にして広告代理店に勤務するようになります。
そしてその傍ら執筆活動も開始。1946年には長編「死を呼ぶペルシュロン」を発表して作家デビューを果たすことになります。
しかしデビュー作に続いて第2作「殺意のシナリオ」、第3作「悪魔に食われろ青尾蠅」と2つの長編を書き上げはしたものの、その心理描写の鮮烈さから第3作「悪魔に食われろ青尾蠅」がアメリカの出版社からは出版を拒否されるなど当時の評価は芳しいものではありませんでした。
ちなみにこの作品は海を渡って、黄金時代の作家ドロシー・L・セイヤーズやマイクル・イネスらの版元として有名なイギリスのゴランツ社より刊行されるという運命を辿ることになります。
このように人間の心の闇を鋭く抉り出した、彼の初期3作品は、当時のミステリ界からみればあまりに先見性の明があり過ぎたため長らく不遇な扱いのままとなっていましたが、20年の時を経た1970年代に入り、ようやくイギリスのミステリー作家で評論家としても著名であったジュリアン・シモンズの手によって激賞され、劇的な再評価の運びとなったのでした。
またH・R・F・キーティングの〈海外ミステリ名作100選〉などの各種のベストにも選ばれていて、現在では数多くの読者の目に止まるようになっています。
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | The Case Against Myself | 1950 | - | グレゴリー・トゥリー名義 |
2 | The Case Against Butterfly | 1951 | - | グレゴリー・トゥリー名義 |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | 死を呼ぶぺルシュロン | 1946 | 晶文社 晶文社ミステリ('04) | デビュー作 |
2 | 殺意のシナリオ | 1947 | 小学館 クラシック・クライム・コレクション('03) | |
3 | 悪魔に食われろ青尾蠅 | 1948 | 創元推理文庫135-3 翔泳社('99) |
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4 | A Shroud for Grandmama | 1951 | - | ダグラス・アッシュ名義 |
5 | So Young to Die | 1953 | - | グレゴリー・トゥリー名義 |
6 | Purloining Tiny | 1978 | - |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | The Burning Glass | 1950 | - | |
2 | Christmas Comes But Once a Year | 1954 | - |
【参考】「悪魔に食われろ青尾蠅」(翔泳社)