歴史上の人物を探偵に起用
アメリカの推理小説家。シオドー・マシスンないしシオドア・マシスンとも表記。1940年、27歳で大学を卒業した頃にはすでに結婚して子供もいたといいます。
その後1942年から1958年までカリフォルニアのハイスクールで国語やジャーナリズム、演劇などを教え、更に1961年から2年間ソース・ベンドのサウスウエスタン・オレゴン・ジュニア・カレッジでスピーチ、国語、ジャーナリズムの教官を務めました。
そしてこれらの教師経験の間に若者と接してきたことが刺激となり創作意欲を高めたといいます。
同時に1958年から1960年にはフリーランスライターとして、1962年以降は小劇場などで活躍する劇団の監督も務めていました。
ミステリー作家としてのデビューは、まだハイスクールで若者相手に教鞭を振るっていた頃の1958年で、〈エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)〉に「歴史上の有名な人物がそれぞれの危機に瀕して一生に一度だけ名探偵として活躍する」連作短編小説を書きたいと申し出たことがきっかけだったといいます。
この申し出を受けて編集者エラリー・クイーンの手によって掲載された彼の短編にはアレクサンダー大王からナイチンゲールまで、世界的に有名な人物が集い、それぞれ不可能犯罪をはじめとする難問、奇問にぶつかり、それに果敢に挑戦していくという、ミステリファンならずとも興味が湧いてきそうな作品に仕上がっています。
そしてこれらの短編は960年に1冊の短編集にまとめられ、「名探偵群像」のタイトルで刊行されて評判となりました。
マシスンの趣味は伝記を読むことで、新聞の社会面から切り抜いた写真を集めて人物帖を作ることを日課としているそうですが、これがこの短編集の創作に生かされていることは間違いないでしょう。
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 | |
1 | 名探偵群像 | 1960 | 創元推理文庫162-1 | 著者名シオドー・マシスン | |
1 | 名探偵アレクサンダー大王 | 1959 | EQMM'60.7 | ||
2 | 名探偵ウマル・ハイヤーム | EQMM'61.4 | |||
3 | 名探偵レオナルド・ダ・ヴィンチ | 1959 | EQMM'59.11 | ||
4 | 名探偵エルナンド・コルテス | EQMM'60.4 | |||
5 | 名探偵ドン・ミゲール・デ・セルバンテス | 1959 | EQMM'61.1 | ||
6 | 名探偵ダニエル・デフォー | EQMM'60.2 | |||
7 | 名探偵クック艦長 | 1958 | EQMM'59.6 | マシスンのデビュー作品 | |
8 | 名探偵ダニエル・ブーン | 1960 | EQMM'61.5 | ||
9 | 名探偵スタンレー、リヴィングストン (名探偵スタンレーとリヴィングストン) |
EQMM'61.5 | |||
10 | 名探偵フローレンス・ナイチンゲール | 1960 | EQMM'61.3 |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | Alexandre Dumas, Detective 名探偵アレクサンドル・デュマ |
EQMM'62.7 | ||
2 | The F. Scott Fitzgerald Murder Case 名探偵フィッツジェラルド |
HMM'73.2 | ||
3 | 名探偵ガリレオ | 1961 | HMM'81.6 |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | 悪魔とベン・フランクリン | 1961 | HPB720 | 著者名はシオドア・マシスン |
2 | The Door to Nowhere | 1963 | - | 長編か短編集か不明 |
3 | The Sign of the Flame | 1964 | - | |
4 | Island in the Sand | - | ||
5 | The Nez Perce Indian War | - |
No. | 事件名 | 発表年 | 邦訳 | 備考 |
1 | John Barrymore and the Poisoned Chocolates ジョン・バリモアと毒入りチョコレート事件 |
HMM'73.4 | ||
2 | No Motives ぼんさい |
HMM'74.11 | ||
3 | My Dear Brother さらば兄弟 |
HMM'79.8 |
【参考】「名探偵群像」(東京創元社 創元推理文庫)